水は凹みがあれば、まずそこに溜まり、その後に先に流れていく。
学問をするにも一歩一歩順を追い、手抜きをせずに進むべきことをいう。
(広辞苑第4版)「孟子」離婁下から
もう少し噛み砕いて書くと
自分自身の穴凹をひとつづつ埋めながら進まないと、その穴凹につまずいて転んでしまう。だから自分の穴凹を埋めながら、一歩一歩順を追って進むことといってよいだろうか。
かにみちてのちすすむ
このことは常に頭に置いておきたい。
とかく、前に前に!と僕はなりがちだからだ。
まずは、身のまわりの地固めをしっかりして、さらにその先に進む。
だけれども、それなりに地固めをしてきたつもりでも、
まだまだ不十分だったことに気づき、
この言葉が身に染みている今日この頃。
穴ぼこをすべて埋めるなんてこことは不可能なんだろうとも思ったりする。
ジョハリの4つの窓を考えると、自分が知らないが周りは知っている自分、自分もまわりも知らない自分があるとすると、かにみちたかどうかなんてことを知りうるのは「神」のみと言ってもよいのだろう。
だけれど、何があってもめげずに、前に進む強い意志を持ち続けたい。
穴を埋めてやろうという意識も持って一歩一歩でも半歩半歩でも良いから良いから前に進む。
人間だから100%完全とはいかないだろう。
だけれども人間だからこそ、そう簡単にはあきらめない。
この想いを継続して行きたい。
