自分というものが少しは分かってきたつもりでいたのですが、
今読んでいる本にこんなことが書いてありました。
「自分を支える心の技法」名越康文著 より
…そこでなるほど、と感銘を受けたのは、「自分の方が精神世界の修行が進んでいる」といった形で優劣を競うのは”精神の物質主義”に陥っているのだという批判でした。考えてみればそうですよね。「瞑想などの仏教修行を行う人のほうが、世俗を生きる人より偉い」という比較を行っている辞典で、その人は世俗の競争社会の枠組みからまったかく自由になっていないということですから。私は瞑想をやっているから、あの人より偉い」と思っている人の心の中は、間違いなく怒りで曇っています。
また、男の瞑想学;前田日明、成瀬雅春著には、こんなことも書いてあります。
「瞑想の練習をして瞑想の達人になろうとするのは日々の生活を快適にして充実した人生を歩むためです。それなのに日々の生活から逃れては瞑想の達人になる意味がありません。」
僕はカッカしやすいので、正座を続けている、というくらいでちょうど良いのかな、と思った今日でした。
こちらも応援、お願いいます。

にほんブログ村
人気ブログランキングへ
こちらもよろしくお願いします。
ブログランキングNo.1
