この前、禅にまなぶ、という本の紹介をしました。
http://e2qr.seesaa.net/article/456664222.html
そして、イギリス在住のサイキック、ライトワーカー、トレイシ―アッシュさんが言うことと
禅とで、同じようなことを言っているとも書きました。
http://e2qr.seesaa.net/article/456689709.html
プログラムを壊す、プログラムから抜けるということは、世間からの期待に応えないということだとも書きました。
今日は、それについて、もう少し書きます。
まずは、「禅にまなぶ」からの引用です。
ともかく、わたしたちは世間を馬鹿にしましよう。
しかし、世間を前にも言いましたが、世間を馬鹿にすることは、世間を相手に喧嘩をすることではありません。
世間はしたたかです。一筋縄ではいきません。世間と喧嘩をすれば、わたしたちは世間にしてやられてしまします。
したがって、喧嘩をしてはならないのです。
世間を馬鹿にすることは、世間の価値判断の基準に迎合しないことです。
あるいは、世間の「期待」に迎合しないことです。
(中略)
わたしたちは、他人の「期待」、世間の「期待」、会社の「期待」に過剰反応することをやめましようよ。
自分は自分と割り切って、自分の個性を大事にしましょう。それが主体性の確立であり、世間を馬鹿にすることです。
ただし、まちがえないでください。
個性というのは長所ではありません。長所は世間の物差しで測られています。
そんな長所ではなしに、むしろ欠点のほうが個性なんです。
以上 引用終わり
世間の期待に応えようと生きると、多くの人は、自分自身とは乖離していく感じがするのではないか?と思います。
そう思わないと言う人も多いかと思いますが、少なくとも私の場合は、そうでした。
その乖離感が大きくなってくると、自分が自分でなくなっていく!という思いが大きくなっていきました。
その思いが大きくなって、どうしようもなくなって、会社の上司に仕事内容を変えてもらうことを申し出ました。
世間一般の常識、世間の期待、そういったことを自分から抜けることを選択して、自分から申し出るというプロセス
やろうと思っても、なかなかできませでした。でも、清水の舞台から飛び降りる?つもりで、申し出ました。
今まで、積み重ねてきた努力の賜物を捨てることに、、なりそう!!?なので、何度も何度も自分にこれで本当に良いのか?問いました。
でも、抜けてみると、なぁーんだこんなんだったのか!と思いました。
月並みのフレーズですが、捨てると、得るものがあります。
