最近はツイッターに読んだ本を書くようにしています。以前に一度読んだことがあるのですが、最近また本棚から出してきて読んだ本を紹介します。
「偶然のちから」 植島啓司著 集英社新書
http://www.amazon.co.jp/%E5%81%B6%E7%84%B6%E3%81%AE%E3%83%81%E3%82%AB%E3%83%A9-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%B0%E6%9B%B8-412C-%E6%A4%8D%E5%B3%B6-%E5%95%93%E5%8F%B8/dp/408720412X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1318855402&sr=8-1独特の切り口が再読でも新鮮でした。
今回気に入ったところは
勝っている人間は自然に態度が大きくなったり、持ち逃げしようとしてバランスを崩し、負けている人間は自分に疑問を持ち始め、萎縮してさらに負けることになる。そういうわけで、桜井さんが言うように、いつも中庸でいられるように心を保つことができる人間が最終的な勝者となるのである。まるで仏陀の教えのとおりである。(p131)
以下は過去に読んだ時の赤線箇所です。ミクシィーのレビューに書いたのをコピペ。
今回とは違うところが気に入っていたり、同じところも気にいっていたり、と自分の変化も面白いですね。
悪い連鎖を断ち切る…
まず、自分が抱えるやっかいな事柄を、比較的やりやすいものから順番に片づけていくことである。悪いことの連鎖を断ち切るためには、まず、一番つながりの弱いところから攻めていくことが肝心だ。手をつけさえすればすぐに解決がつくこともたくさんあるはず。それらを後回しにしてはならない。(p153)
これまで「合理的」と思っていたことの積み重ねの結果、どうにもならない事態を招いてしまったのだから、どちらかというと「非合理的」に見えるものほど考慮に値するということになる。(163)
偶然の諸法則は、むしろ因果律と類を異にするものではなく、おびただしい数の原因が入り組んだ結果だとも考えられる。(p164)
あらゆる出来事は因果的に決定された多くの系列が交叉した結果ではあるものの、そこに「自己」が関与することなしには、何も意味を持たないわけで、いかに「自己」の振る舞いが影響を持つか考えなければならない。(p184)
好ましい流れは自分から放棄してはならない。(p185)
ちょっとした満足よりも、まるで「自己をなくす」ことが生きる目的でもあるかのように振る舞うのである。まさにそこに人間の窮極的な歓びがあるのかもしれない。(p204)
「未来が見えないとき、いったいどうしたらいいのか?」
●そんなときは、しゃにむに自分の意志を貫こうとしないことが肝心だということ、「自分で選択するべからず」ということである。
●すぐに物事の是非を判断せず、「世の中にはどうにもならないこともある」と一歩引いて考えたい。世の中には思うようにいくことのほうが少ないのだから。
●さらに、われわれはつねに偶然に翻弄されているように思いがちだが、まず、「自分の身に起こったことをすべて必然と考える」習慣をつけたい。
●「悪いことは連鎖する」。そんなときこそ、冷静にもっとも解決がつけやすそうな事柄から順番にひとつずつ解決していくことが大事なのである。人はもっとも困難な事柄に気を奪われてしまうが、それは最後に始末するつもりでいてほしい。まずは手近なところから片づけていくことが肝心なのだ。われわれの「思いは全部どこかでつながっている」からである。
●いったんすべてが好転するようになったら、あまりムダな動きをせず、「いい流れには黙って従う」ことである。
●それでも、自分の状況をしっかりと見つめることが必要だということである。「一応、ここは勝ったけれども、これからどう振る舞うべきか?」とか、「どうしたらこの負けが勝ちになるだろうか」とか、そうやって考えていかないと、いつまで経っても偶然や運をつかみとることはできないだろう。
●もし、偶然の力を最大限に生かすとしたら、「すべてはなるようになる」という柔軟な姿勢は不可欠であろう。
そう、そういう人々につねに偶然は微笑みかけるのである。
posted by ChiAki at 21:53|
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